株式会社グリフォンCTO川村猛氏【前編】【CTOの職務経歴書】インディーズミュージシャンからベンチャー企業のCTOへ

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今回、「CTOの職務経歴書」でお話を伺ったのはサイバーエージェントグループのゲーム会社、株式会社グリフォンのCTO、川村猛氏。同社は、ブラウザやPC向けタイトルでヒットを生み出し続けている。

川村氏は、プロミュージシャンを目指して音楽漬けの日々を経て、27歳で本格的にエンジニアを志すようになった遅咲きのCTOだという。川村氏はどのようにして同社の技術を統括する立場になったのか。前編では、学生時代からサイバーエージェントグループに入社するまでの軌跡を語ってもらった。

株式会社グリフォンとは
スマートフォン向けブラウザゲームの企画・開発を手がけるゲーム会社。2013年2月にサイバーエージェントとグリーとのジョイントベンチャーとして設立されて以来、『不良遊戯 シャッフル・ザ・カード』などのブラウザやPC向けタイトルを手がける。
http://www.griphone.co.jp/

川村 猛(かわむら たける)氏の経歴
1999~2003年 大学時代
バンド活動に明け暮れる日々を過ごす
2003~2006年 バンド活動時代
着メロの制作会社でプログラミングの仕事
2006~2010年 フリーランス時代
モバイル公式サイトを始め、様々な案件の受託開発を行う
2010~2013年 サイバーエージェントグループ時代
数々のゲーム制作に携わる
2013年 グリフォン立ち上げ
エンジニア1名の状態からスタート、創業2年でヒットメーカーに
2014年
グリフォン取締役CTO就任
現在
エンジニアのマネジメントと採用に集中。技術力や生産性、開発環境を向上させる施策の立案、実施を行う

1. プロミュージシャンを目指していた大学時代

─プログラミングを始めたのは、いつからですか?

川村氏:大学に入ってからです。中学高校の時は、陸上部で全国大会を目指して陸上に没頭する日々を送っていました。最初は地区大会でも目立たないレベルだったのですが、最終的に努力が実り、中学時代は全国大会へ出場することができました。陸上部での経験が、自分のストイックさを培ったと思います。

高校まではプログラミングとは無縁でしたが、幼い頃からゲームが好きだったので、その影響で何となく興味を持ってはいました。

―大学でプログラミングを勉強されたんですか?

川村氏:そうですね。大学は理工学部の情報学科に進学したのですが、実際のところは音楽をやりたくて上京したようなものでした。

─音楽をやりたかったのに、なぜ理工学部に?

当時は漠然と、「とりあえず大学には行きたい」と考えていました。それで、受験生向けの情報誌を読んでいたら、理工学部の情報学科に入ると、レコーディングエンジニアという将来の選択肢もあると書かれていたんです。卒業後は音楽の道に進めるかもしれないですし、経験はなかったのですが、興味があったプログラミングも学べると思い選びました。

ただ、大学に入ってからはバンド活動に夢中になり、大学にはあまり行かなくなってしまいました。

─どんなジャンルの音楽を演奏されていたんですか?

ロックの中で色々やりました。パートはボーカル、ギターで、ライブや音源制作等、一生懸命活動していました。

大学生になって初めて自分のパソコンを買ったんですが、プログラミングのためというよりはバンド活動のために利用していました。DTMソフトで曲作り、PhotoshopやIllustratorでデザイン作業などを行っていました。

─プロミュージシャンを目指していたんですか?

はい、音楽を仕事にしたいと思っていました。当時はCDを作ったり、東京だけでなく北海道から福岡まで、色々な場所でライブをさせていただきました。音楽中心の生活がしたかったので、大学卒業時も就職活動は特に行っていませんでした。

株式会社グリフォン CTO 川村猛氏の写真

大学時代、iMacを購入。大学の課題より作曲やデザインでの使用がメインになっていた

2. プログラミングのバイト暮らしを経てフリーに

─いつプログラミングの仕事を始められたんですか?

大学卒業直後ですね。大学時代を振り返ると、音楽活動で得たものはたくさんあったのですが、情報学科に5年も通ったのに、ほとんどプログラミングのスキルが身についていなかった。もっと学ぶべきだったと後悔と反省の念を強く感じていました。

せっかく一度は興味をもったプログラミングだったので、もう一度やりなおしてみようと思った時、大学院に進んだ友人があるベンチャー企業でプログラミングのバイトをしていることを知り、その友人を通じて自分もアルバイトで雇ってもらいました。その企業では着メロを作っていて、着メロの配信サイト等でPHPを使用していました。私もPHPからプログラミングをやり直していきました。

─改めてプログラミングを学んだんですね。

川村氏:そうですね。エンジニアといっても私以外は学生のバイトしかいなくて、みんなで勉強して、教え合いながら作業していました。学生ばかりでしたが、彼らが自分には作れないものを作ったり、想像していなかったものを作ると、魔法使いみたいですごく格好良く見えましたね。

─アルバイトは何年くらい続けられたんですか?

3年ほどですね。当時、受託の開発会社を経営するエンジニアの方と知り合い、その会社の仕事をフリーランスでお手伝いさせていただくようになっていました。「ようやくプロの下でプログラミングを覚えられる!」と意気込んではみたものの、いざ1から10まで開発をやってみると、できないことがすごく多くて。

例えばJavaScriptでインタラクティブなものを作れと言われても、当初は何ができるのかすら分からない有様でした。悔しくて、「まだまだ、自分はエンジニアになれていない」と強く感じました。

数年間バンド活動と仕事を並行していくうちに、プログラミングと音楽には、自分が作ったもので多くの人を楽しませられるという大きな共通点があると感じるようになりました。仕事の幅が広がっていくとともに、仕事がどんどん楽しくなり、エンジニアとして生きていくことを決めました。27歳の頃です。

─その後、どういった経緯でサイバーエージェントグループで働かれることになったのでしょうか?

川村氏:ベンチャー企業でバイトして以来、起業に興味を持つようになり、29歳で知人と一緒に会社を作ったんですが、なかなかうまく行かなくて。その後も、いつか起業しようという思いを胸に知人の会社を手伝ったりしていたのですが、自分の将来的なビジョンが見えなくなってきていました。

そこで、起業するという目標からいったん離れ、まずはエンジニアとして開発に集中しようと考えました。また、当時は一人で開発することが多かったため、企業に入りチームでの開発を経験したいという思いもありました。

自身の経歴について話す川村氏の写真

起業する目標から離れ、エンジニアとして開発に集中することに

3. サイバーエージェントグループなら起業に携われると思い、入社を決意

─そこで、決まったのがサイバーエージェントのゲーム系子会社だったんですね?

川村氏:はい。それまで着メロを作ったり、フリーでフィーチャーフォン向けのさまざまな公式サイトを作ったりして、何かしらエンタメ系の案件に携わっていきたいと考えていました。当時、モバイルゲームが勢いに乗っていて、もともとゲームも好きだったので、モバイルゲームの開発に関われる会社を探していました。

その時に、サイバーエージェントのゲーム系子会社に参画することが決まり、働き出して数ヶ月が過ぎた頃、「社員にならないか」という話をいただきました。でも、当時はフリーランス志向が強くて、「もっと色々な現場で勉強したい」とか「もう一度起業したい」という思いがありました。と同時に、バイトやフリーでの社会経験しかなかったので、自分が企業の一社員として働く姿をイメージできず、ずいぶん悩みました。

─最終的にどうして社員になられたんですか?

川村氏:理由はさまざまあるのですが、周囲に非常に優秀で尊敬する方がたくさんいたことや、仕事に対してより当事者になりたいと思っていたこと。そしてサイバーエージェントの文化に共感していたことが、主な理由です。なかでも特に、サイバーエージェントグループなら起業を経験できるかも知れないと感じていたことが、大きかったです。

サイバーエージェントには子会社がたくさんあり、当時は『アプリボット』を始め、自分より若い人達が中心となって会社を立ち上げていくのを目の当たりにしていました。だから、私も努力すれば起業のチャンスを得られるのではないかと思ったんです。

社員になる決心した経緯について話す川村氏の写真

半年間、悩んで正社員になる答えを出したという川村氏。背中を押したのは、サイバーエージェントの文化だった

後編を読む:経営に教科書なんてない。だから自由なスタンスで挑戦していきたい

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