累計420万ダウンロード『戦国炎舞 -KIZNA-』など、人気ゲームを生み出すチームの作り方才能を見つけ開花させる。プロジェクトマネージャーをコーチするエンジニア|株式会社サムザップ 藤代俊祐氏

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『戦国炎舞 -KIZNA-』を制作する株式会社サムザップ。

面白いゲームの制作には、有能なディレクターやエンジニア、デザイナーの力が必要であることは言うまでもないが、彼らが高いパフォーマンスを発揮するためには、プロジェクト全体を管理するマネージャーの存在が不可欠だ。

この記事では、そんなプロジェクトマネージャーを育成するプロジェクトマネージャーコーチとして働く藤代俊祐さんにインタビュー。子どもの頃からプログラミングに親しんできたという藤代さん。高校卒業後はプログラマーとして活躍し、その後どのような道を歩んで現在の職に就いたのか、チームマネジメントを行う上で大切なことは何かなど、お話を伺った。

藤代 俊祐(ふじしろ しゅんすけ)

1982年生まれ。幼少期から機械に興味を持ち、小学生の頃からパソコンを触り始める。高校入学と同時に本格的にプログラミングを開始し、卒業後はプログラマーとしてゲーム制作会社に入社。その後、2003年に教員養成課程の大学に入学する。卒業後フリーランスとして活動し、
モバイルゲーム会社勤務を経て、サムザップに転職。現在はプロジェクトマネージャーコーチとして従事している。

1. 小学生時代からプログラミングを開始。その後も独学で技術を磨いた

-子どもの頃はどんなことをして遊ぶのが好きでしたか?

昔からゲームや機械が好きで、パソコンでもよく遊んでいました。「自分で作ったものが動く」ということがうれしくて、見てるのが楽しかったんですよ。

-その頃からプログラミングをしていたんですか?

当時はプログラミングをしているという意識はなかったのですが、パソコン上で何かを書いて実行すると「かけっこ」や「○☓クイズ」ができるゲームを作っていましたね。

それが小学生のときで、家にはまだパソコンがない時代だったので学校のパソコン室で作っていました。

-小学生の頃からプログラミングを始めていたとはすごいですね。どうやって学んだのですか?

学校や区の図書館で本を借りて、家に帰ってそれを見ながらコードを手書きして、学校に行って動かす、といったことを繰り返していました。このときのクセが残っているのか、今でも手書きでコードを書くことがあります。ダーッと手書きをして、後からパソコンに落としこむようなやり方です。

-小学校の図書室にプログラミングの本なんてあったんですね…!

ありました!「CPUの作り方」といったような本を読んでましたね(笑)。

-本格的に始めたのはいつ頃ですか?

高校1年生ですね。高校の入学祝いに初めて自分用のパソコンを買ってもらいました。突然父親に秋葉原に連れていかれて「パソコン欲しいんだろ」と言われて。SHARPのMebius(MN-5100D)を買ってもらいました。今でも型番をスラスラ言えてしまうくらい、本当にうれしかった思い出ですね(笑)。Windows95が出たばかりの頃のノートパソコンで、当時の最新型でした。

パソコンを買ってから1、2週間くらいでホームページや掲示板、メールシステムなんかを作りましたね。プログラムだけでなくコンピュータグラフィックスを作ることも好きでしたし、DTM(デスクトップミュージック)を作っていたこともあります。高校生の頃はパソコンでできることを何でもやっていましたね。

-高校はプログラミングを学べるところに進学されたのでしょうか?

いや、高校は普通科だったので、パソコン関連の知識は全て独学ですね。高校にはプログラミングの話ができる人がいなかったので、草の根BBSや掲示板サイトなどのネット上で知り合った人と情報を交換していました。

笑顔で学生時代を振り返る藤代氏の写真

2. ゲーム会社に就職、コミュニケーションの基礎を学ぶため大学へ

-高校卒業後の進路について教えてください。

卒業後1年くらいしてから、ネットで知り合った人に紹介してもらったゲーム会社に就職しました。プログラミングについては、高校時代にひとりでできることは一通りやったなと感じていて。ホームページ上での見せ方の工夫、例えばDHTMLだったりFlashだったり、アニメーションやCGも作れるようになっていたんですが、趣味の範疇を出ることができなくて。

プロのプログラマーとしてやっていくんだったら、早く現場に出て実践的な技術を身につけなきゃダメだと思ったんです。

-就職したゲーム会社では、プログラマーとして働いていたんですか?

そうですね。でも、プログラマーというよりはシステムなんでも屋です。パソコン向けのゲームやコンシューマゲームを制作している会社で、会社全体のサーバ管理の仕事をしてましたが、それ以外にもソフト面からハード面まで幅広い仕事を経験させてもらいました。

私のいたチームにはプログラマーが5人いて、その中に仙人みたいな人がいたんですよ(笑)。その人はプログラムからサーバの管理など本当に何でもできる人で、一緒にパソコンを組み立てたりサーバを立てたり、電源管理をしたり、カーペットをはがして配線したり…今振り返っても、面白い環境で働いていたなと思います。LANケーブルを自力で作ることもできますよ(笑)。

-なるほど(笑)。その後、大学に進学されたと伺っています。なぜ大学を受験しようと思われたのですか。

昔から人とコミュニケーションを図ることが苦手だったんです。会社に勤めていたときは、自分の考えに対して周囲の人の理解を得ることがとても難しく、そういう自分の課題を改善させたいと思ったのが大きな理由のひとつです。

人と会話をしていても、話がまとまらないまま喋ってしまう節があって「何を言っているかわからない」と言われることが多くて。そのため大学では、ものの伝え方や教え方の基礎を学ぼうと思い、教育学部の初等科を受験することにしました。

なぜ教育学部初等科なのかというと、人間が理性をもってコミュニケーションをし始めるのが小学生頃かなと思ったからです。乳幼児はまだ欲望の割合が強くて、中高生だと土台が出来上がっていて、すでに理性をもったコミュニケーションができてしまうと考えました。

自分はコミュニケーションができないので、まだ何の土台もない、まっさらな状態の子どもたちとのコミュニケーション方法を学ぶことを通じて、私自身のコミュニケーションの仕方を見なおそうと思いました。

腕を組み真剣に語る藤代氏の写真


-大学では、どのようなことを学ばれたのですか?

ホワイトボードの使い方と言ったら身もふたもないですが(笑)、板書計画や授業計画といった概念は現在の仕事をする上でとても役立っていますね。

子どもは、黒板に書いてあることをそのままノートに書き留めるので、黒板の隅から隅までで1コマの授業が終わるように工夫しないといけないし、黒板の内容がそのままノートに写ることを考慮して構成を考えなければいけないんです。ノートの見開き1ページが黒板1面という感じですね。

教員の方は子どもたちが吸収しやすいように創意工夫をします。だから、私も板書するときには相手にどう見えるのかということを意識して、わかりやすい書き方を心がけるようになりました。

また、人前で話すことに対しても抵抗がなくなりました。授業計画では授業の目的や内容、到達目標などを立てるのですが、実際に子どもたちを相手に授業を行ってみると、全然計画通りにはいかないんですよ。生徒の反応を見ながら、うまく舵を取る方法を学べたのは大きかったです。それは会社のミーティングや会議でファシリテーションを行う場合でも同じでした。

相手に伝わる話し方や説明の仕方ができるようになったことで、人と話をすることへの苦手意識がなくなりました。

3. マネージャーになって気づいたのは、チームメンバーが抱えるフラストレーション

-大学卒業後はどのような進路を選ばれたのでしょうか。

大学を卒業してからは2~3年、フリーランスのプログラマーとして働いていました。モバイルゲーム会社の案件を担当したときに「入社してもらえないか」と声がかかりました。

ちょうど私自身も、今より大きなプロジェクトを手がけるには、チームや組織の力が必要だと感じていた時期でタイミングが良かったこともあり、その会社に就職することにしました。

-そちらの会社ではどんなお仕事を担当されていたのでしょうか。

当初はモバイルゲームのプログラマーとして働いていたのですが、ある時プログラマーのマネージャーがチームから抜けることになったんです。引き継ぐ人が誰もいないので自分が引き受けました、そのときからマネジメント業務を行うようになりました。

-今まではプレイヤーとして働かれてきたわけですが、はじめてのマネジメント業務で苦労されたことはありますか。

苦労と感じたことは特にないです。苦労というよりは課題ですね。マネージャーとしてメンバーの話を聞いてみると、みんな好きなことをやれていないというフラストレーションが溜まっているんだなということがわかってきました。ゲーム制作はわりと特殊な職業なので、自分なりに目的意識を持って仕事をしている人が多いんです。でも、企画や技術などさまざまな要因から、自分の作りたいゲームがあっても実現できない、と不満に思っている人が多いことに気づきました。

どんな職場でも「理想的に働けています!」という人はなかなかいないと思います。でも、一緒に働いているメンバー一人ひとりがどんな理想を持って働いているのかを理解して、それぞれのキャリアや成果に結びつけていくことはマネージャーの仕事だと私は思っていたので、それらを実現するための取り組みは意識的に行いました。

笑顔で話す藤代氏の写真


-具体的にはどのようなことを行ったのですか。

例えば、ひとりにつき1~2時間くらいかけて面談をしました。エンジニアとデザイナー合わせて50人くらいいて、全員と1対1で話をしました。

その中でメンバーの思いや意見を聞き、会社のミッションと照らしあわせて、一人ひとりが仕事でどう成果を出していくか、ということをすり合わせていきました。溜まっているフラストレーションを軽減させることも大切ですが、それを乗り越えて成果や自己実現を目指すのが大切です。結局は自分の人生なので、自分のやりたいことをやってほしいと思っています。

私自身は「自分でやりたいことは、自分でできるようになろう」という気持ちを持ちながら、彼らの希望を会社内で実現できるように手助けしていきました。例えば、その人のやりたいことに近い仕事があった場合は担当に推薦したり、当人に対しては自分のやりたいことをうまく周囲にアピールする方法を教えたりしていました。

また、当初は面談を行った際に私から目標や課題を伝えていましたが、前職を辞める前の最後の1年は「チームの目標や課題を自分たちで考えて」と伝えて、チームで意見をまとめてもらいました。メンバーで確認しあって持ってきてもらうことで、チーム全体の意識を統一することができたと思います。

4. マネージャーに必要なのは、メンバーの才能の芽を見つけて育む力

-その後サムザップ社に転職されますが、入社したきっかけについて教えてください。

現場のエンジニアと直接話をしたときに、一人ひとりが達成したい目標や目的を持って前向きな姿勢で働いているんだというのがわかり、それがとても気持ちよかったんです。

私は私でやりたいことがたくさんあるので、お互いに良い刺激を与えながら仕事ができそうだと思いました。メンバーは私より若い世代が多いですが、年齢は全く気になりませんでしたね。

-もともと、現在の役職であるプロジェクトマネージャーコーチとして入社されたのでしょうか?

いえ、エンジニアとして入社しました。システムの業務改善だったり技術的な検証、開発工数の改善などを行う予定だったのですが、いざ入社して業務分析してみたら、システムを直すよりプロジェクトマネジメントの改善の方が必要なんじゃないかということに気づいたんです。その話を会社にしたところ、プロジェクトマネージャーの育成をしてほしいという話になりました。

-具体的には、プロジェクトマネジメントのどこに問題を感じたのでしょうか。

サムザップは大きなサービスを手がけているため、チームの規模も大きく、そこに流れる情報も大変な量でした。しかし、チーム内で情報がわかりやすい形で提供されているものが少なく、メンバー同士のコミュニケーションもあまりうまく行えていないのではないかと感じました。

そこで、メンバーに情報を伝える役割を担うプロジェクトマネージャーを指導することにしました。

-プロジェクトマネージャーの指導というのは、どういったことを行うのですか?

基本的なところでいうと、作業スケジュールのまとめ方の指導ですね。私が入社した当初は、リリーススケジュールはあっても作業スケジュールがなくて、誰がどこでどの作業をするのかがわからなかったんです。それを見える化させるのですが、全部のスケジュールを書き出すとかえってわかりづらくなるので、重点的なものを抽出してチームメンバーみんなが確認できる状態になるようにしました。

また、マネジメント指導を行う際には、実際に私自身がマネジメントを実践して手本を見せる、という方法をとっています。他のチームにもプロジェクトマネージャーがいるので、私も並行してマネジメントしながら、彼らの意見を随時吸い上げて一緒に課題解決を図る、といったやり方です。

笑顔で今後の展望について語る藤代氏の写真


-面白いゲームをチームで作る上で、マネジメントをする立場の人たちに必要なことは何だと思いますか?

面白いゲームを作るためには、ある意味突飛な発想ができて決断力のある、カリスマ的な才能を持った人が必要だと思うんですよ。プロジェクトマネージャーは、チームの中からそういった才能の芽を見つけてあげたり、その人が活躍できる役割を考えたりする力が必要だと思います。

また、ゲームに限ったことではありませんが、情報整理やリソース管理、予算管理をスムーズに行えるかどうかはとても重要です。チームメンバーが高いパフォーマンスを発揮できる環境を整える力を身に付けておいたほうがいいと思います。

-それでは最後に、今後の展望についてお聞かせください。

私はマネージャーになりたいわけではないんですが(笑)、エンジニアの仕事は自分ひとりでもできるので、今後はプロジェクト単位だけでなく会社全体の事業戦略まで考えられる人間になっていきたいですね。そのために、今後は経営の視点をより深く学んでいきたいと思っています。

そしていつかは、事業計画からマネジメント、プログラミングまで、開発ラインを全て1人で担当してみたいですね。

レバテック営業担当、大林春菜の写真

レバテック営業担当「大林春菜」から一言!

物事の本質を見極め、行動する姿に心を打たれました!

藤代さんの、何かを学ぼうとするときに「まず基本をおさえる」という姿勢、そのために必要だと思えば大学にまで進学してしまう行動力に脱帽です。サムザップ社への転職の決め手が、「一人ひとりのメンバーがやりたいことを持っていたこと」だというお話にもぐっときました。業務改善やプロジェクトマネージャーの教育にまつわるお話は、私自身の仕事ともリンクする部分があり、まだまだお話を聞いていたい!と思ってしまいました。

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