「CTOの職務経歴書」はレバレジーズ(現レバテック)のアナリスト兼営業が、インタビュー取材を通して注目企業CTOの視野に迫る連続企画です。
第3回目の「CTOの職務経歴書」
今回は・・・
株式会社nanapiのCTO 和田修一氏!!
nanapiとは
nanapiは、「世界中の人々のできることをふやしていきたい」という思いのもと、それを実現するためのメディアやコミュニティを運営している。
月間2000万人の利用者がいる日本最大級のハウツー情報提供サービス「nanapi」では、「野菜の切り方」「トイレ掃除の仕方」などの生活の基本的なものから、「ネクタイを自宅で洗う方法」など知っていると便利なやり方、「不動産の遺産分配のやり方」などプロの意見が必要とされる情報を掲載。
他にも、コミュニティアプリ「アンサー」は、スマートフォンで簡単に悩みや関心ごとについてコミュニケーションを図ることができるアプリ。また、海外向けに「気付きを与える」をコンセプトとした 日本文化を世界に発信するカルチャーマガジン「IGNITION」を運営している。
1. ギタリスト志望だったのに、何故か楽天に就職!?
–学生時代は、どんな学生でしたか?
たまにメディアでも言ってますが、僕学生時代ずっと音楽しかやっていませんでした。
高校の時にギターを始めて、大学時代もずっとやってて。
バイトもしていたのですが、そのお金全部音楽につぎ込んでましたね。
ほんと音楽にどっぷりの学生生活でした。
–大学時代から「経営者を目指してベンチャー企業でインターンしよう」とは思わなかったですか?
全く。1mmもなかったですね。
音楽のプロでやっていこうと思っていたので。大学時代、プロとまではいかなくてもレコーディングの手伝いとか、ギターを教えたりしていて。授業にも出ず、音楽ばっかりやってました(笑)
だから別次元だと思っていました。起業とかしている学生って。「あぁ、そういう人いるよね」みたいな感覚でしたね。まさか自分がなるとは夢にも思っていませんでした。
–大学時代、音楽に捧げたということですが、結局就活されていますよね。どうしてでしょうか?
ほんとは就活するつもりはありませんでした。
でも音楽の世界で生きることに息苦しさを感じてしまうときがあったんです。ギターをやっていくうちに業界の人とも関わるようになったんですけど、音楽の世界ってすごく閉じているように感じたんですよね。プロとしてプレイをしている人がすごく少なくて、独特な雰囲気なんです。
それをきっかけに、「ちゃんと就職して普通に世界を見てみたいな」と思い就職することにしました。就活を始めたんですが、その時はまだ音楽を引きずっていて、内定先が楽器関連の会社だったんです。
学生時代、ギターにはまっていたときの思い出を楽しそうに語ってくれました
就職先が決まっていたのに、まさかの卒業出来ず
–楽器関連の会社からどうして楽天に就職することになったのですか?
就活が終わった後は、「その楽器関連会社に入るんだろうな」って思ってたんです。
ただ、卒業式の2週間前に卒業出来ないことがわかって。3月中旬にですよ?僕のときは、大学の掲示板みたいなところに卒業予定者の学生番号が貼りだされるんです。当然、卒業できると思ってたんですけど、自分の番号を探してもどうみてもなくて。
–どうして卒業出来なかったんでしょうか?
1単位だけ足りなかったんですよね。
あとでよく調べたら履修のときにミスをしていたみたいで。4年生の時点で、必要な単位数を履修登録していなかったんです。結果的に1年残ってしまったんですが、1単位でしかも一般教養1単位というよくわからないミスだったので、すぐに取り終わっちゃって。
— 一般教養1単位で卒業できないって、悔しいですね。
ただずっと音楽に費やした4年間というものに後悔もしていたので、残りの大学1年間、就活も含めてもう一回見直したいたいな、と思うようになっていたんです。それでまた就活を始めて、始めた時点で音楽に限らず、ITにも限らず、幅広く受けていました。金融とかも受けてましたね。
基本就活にずっと取り組んで1年を過ごして、就職する会社を決めていたんです。9月くらいの秋採用の時に「最後までいろいろ見てみようかな」という想いの時に受けたのが楽天だったんですよ、偶然。
–すでに決まっていたところと楽天で最終的には悩まれましたか?
最後は悩みませんでしたね。
楽天を受け始めた時点では、「インターネットをやっていると目に入ってくるし、今どきっぽいな」、という軽いノリで受けたんです。ただ私が受けた楽天の最終面接の前日に楽天が野球に参入するという発表があって。ものすごい注目されていて、イケている感がでていたので内定もらった瞬間に決めました。当時はオフィスも六本木ヒルズだったので、ミーハー心もあったんですよ。
もうエイヤって感じで、決めちゃいました。
2. プログラム初心者がエンジニアとして活躍するまでの4年間
エンジニアなんて『裏方じゃないか』って腐っていた時代もあった
–楽天に入社するまで、エンジニア経験はありましたか?
ゼロですね。
もともとは仮配属で開発系になって、2ヶ月の研修をやったんですよ。その後インフラのエンジニアに決まりました。
–インフラエンジニアに決まった時はいかがでした?
当時の僕はインフラエンジニアって嫌だったんですよ。だって裏方感あるじゃないですか。(笑)
2005年新卒なんですが、当時はエンジニアのことをまだ格好いいっていう感じではなかったんですね。やっぱりサービスをプロデュースしたりディレクションしている方が格好いいって思って「企画とか格好良いことやりたい」って、結構腐っていた時代もあったりします。
–この後当分インフラでエンジニアとして働くと思うのですが、面白くなってきたな、と思うきっかけとかってありますか?
インフラって特殊な仕事なんですよ。
触っている人が新卒でも、インフラの部署にいる時点でサーバーのroot権限をもっているんです。ということは、どんな熟練のアプリの人でも、僕が作業しないと次のことが出来ないんですよ。だから自然とベテランの先輩に頼られるようになったんです。
それに加えて障害対応です。
深夜に障害が起きて、誰かが対応しなくてはいけなくて。新卒だった頃、毎日遅かったので、夜の会社に自分しかいない、ということがよくあったんですよ。だから、よくわからないけど解決しなくてはいけない、ということが多くて、結構みんなに頼られて、なんとか直す、ということを繰り返してたんです。
すると、自分が結構重要なものを触ってるんだな、面白いことやってるんだな、と気付きはじめたんです。頼られてるってところから仕事をしている実感があったんだと思います。
–この時評価された仕事ってありますか?
楽天の一番コアになる、1台1億とか2億とかするようなストレージがあるんです。そのストレージを管理するリーダーを新卒2年目くらいで任されて、ほぼ1人で回していた、ということが多分評価されました。
社内での評価や実績もありましたが、この時期は、自分でもよく働いたと思います。
1年目って仕事出来ないから時間で稼ぐしかないじゃないですか。
自分でもわかっていたので、先輩の半分しかアウトプット出来ないのであれば、倍の時間働けばいいと思っていました。だから、アウトプットの量を増やそうと意識していました。
実際1年目とか2年目とかって、月曜の朝会社に行くときに服を2,3着持っていってましたね。いつでも泊まれるように。それだけ働いたからこそ身についた力っていうのがあるのかもしれないですね。量をこなしていって、ようやく質がついてくるんですよ。
それに僕は元来、身体がすごい丈夫なんです。稼働時間越えると、もちろん周りは心配してくれるので、面談が入ることもあったんですけど、それでも、すっごい元気(笑)
「楽天の和田」ではなく、「和田修一」として活躍出来始めたな、という時期
(仕事に熱中していた新入社員時代の話で場が盛り上がりました。)
楽天には丸4年所属していたのですが、インフラ専属が2年で、残りの2年間は台湾の国際事業の立ち上げを行ないました。インフラのエンジニアとして関わったのですが、アプリケーションを書くのも、ここで経験したんです。
この2年間は、新しいことを自分で作っていかなくてはならないことが大変で。「どういう風に設計するのか」、とか「どうすればもっと良いものを作れるのか」っていう議論をしながら実際作っていきました。
予算の確保も日本と台湾のネットワーク事情とかもいろいろ含めて全部考えました。納期も短かったので、一番成長出来た2年間だったと思います。
–最初の2年と変わったな、と思うところはどこですか?
それまでの2年間は、楽天がやってきたことに取り組んだ2年間で、社内で評価されることに特化した能力を身につけました。
後半になってから自分で考え、社外の情報をより深くみるようになりました。世間を意識して、より視野が広くなった、ということが一番大きかったです。さらに、技術者として取り組んでいる技術にも興味が湧くようになりました。
–なるほど。
今、私が書いているブログ「UNIX的なアレ」を書き始めたのもこの時期なんです。ブログを書いたら、いろんなリアクションとかレスポンスがきたんですよね。
勉強会とかで「ブログ読みました」って言ってくれる人や発信したことに「間違ってる」って言ってくれる人が出てきて、ネット上の関係が面白くなってきたんです。
この情報発信というブログをきっかけに勉強会とかパネルディスカッションに呼ばれたり、技術評論社で連載を持つようになったんです。個人名でアウトプットができるようになり、「楽天の和田」じゃなくて、「和田修一」として活躍できはじめたかな、と感じた時期でしたね。
3. nanapiの誕生とこれから
起業当時は、庭の草むしりも仕事だった
–起業のきっかけをお伺いしてもいいですか?
楽天の仕事も面白くなってきて、これからマネジメントとか、より大きなフェーズに行けるかな、って時に起業を決めました。
起業のきっかけって大した話じゃなくて単純に代表の古川に誘われたからなんです。「起業しようぜ!」ってチャットが来て2秒くらいで返信したんですけど。もう、反応みたいな速さでしたね。
すぐオッケーしようと思ったのは、「そういう連絡くるだろうな」って思ってたからではなくて、古川からの連絡だったからっていうのは多分あると思います。彼もよく言ってるんですけど、「何をやるか、ではなく、誰をとやるか」だと私も思っていて。
正直、「起業」っていう選択肢自体はそんな特別な選択肢じゃないと当時から思っていたので、軽いノリでやっちゃいましたね。その時26、7くらいだったんですが、失うものは何もないし、当時のすごくよかった給料が減ってしまうことより、独立するんだからもっと自由なことができるじゃんっていう面白さの方が強くて。
それから半年後くらいに楽天を退職して起業しました。
–起業してから一番大変だったことってなんですか?
うちは資金調達2回してるんですけど、1回目の資金調達が3億3千万で、その直前まで受託をやりながら食べてた時だったんです。役員いれて常勤が5名、あとアルバイトが数人いて全部で10人足らずの超小さい会社だった時のことです。
受託やりながらだと本業の事業に集中できないな、ということで資金調達したんですけど、お金が入る予定があるから途中から受託をやめるんですよね。
そうなるとキャッシュがただ減っていく一方になるんです。
そしたら、調達した資金が入る直前の銀行口座が、会社の口座とは思えないようなことになって。
余裕で100万切ってる、みたいな。
次に家賃の請求が来たら終わる、という状態になったことがわかりやすいヒヤっとしたことですね。
–お金以外で大変だった時ってありますか?
やっぱり最初の1年ですね。
僕と古川2人しかいないのに、とにかくやることがいっぱいあって。ショボい話、最初のオフィスって高円寺のアパートの1階だったんですけど、なぜか庭がついてて。だから庭の草むしりもしなくちゃいけなかったんですよね。他にもインターネット回線引いてきたりとか。細かい消耗品買うからASKULで買おうと思っても契約するのにファックスが必要で、そもそもこのアパート電話回線引けるのか、とか。
ほんとショボい話なんですけど、何もわからないからこそすごい細かいことに苦労するんですよ。
同時に、本業の受託とnanapiという業務もあって。受託の場合、コンサルティング業務も行ってたので、実際に僕が直接いく必要があったんです。受託をやりながらnanapiを開発ってすごく時間もかかるし、頭の切り替えが大変だったんですよ。
最初の1年はお金がなくて実家の八王子から通っていたんですが、往復の電車もコードを書いたりしてましたね。車内でコードを書いていると、隣のサラリーマンに「うるさい」って怒られたりとか。
これは今でもですけど、起きている時間は全部仕事しなきゃ、と思ってましたね。
軌道に乗ってきたなって思ったらビジネスってダメかな、って思ってる
–いつくらいに軌道に乗ってきたな、っていうのを実感されてきましたか?
いや、全然実感してないですね。軌道にのったって思ったらビジネスってダメだなって思っていて。いまだにいろいろ焦ってます。どんどん新しいこと生み出していかなきゃって。
–今技術の現場ではどのように働かれているのですか?
いまだに現場のシステムを見ています。
インフラは僕だけなので、実際にコードを書いてる時間や作業をしている時間もあります。他には、私発信の非技術者向けの社員への技術勉強会を週3回くらいやっています。
それと毎日やってるんですけど、新しい技術をキャッチアップする時間があって、ただ僕が教えるのではなく、一緒に入って学ぼう、という感じです。最近Appleから発表されたSwiftという新しい言語に今月(7月)取り組んでますね。もううちのメンバーほぼ全員今かける状態です。実際いろいろやってて、現在はサーバーサイド、iOS、Androidは全員ができるようになっています。
将来のことを真剣に話してくださいました
「nanapiってnanapiを運営している会社だよね」から脱却したい
–これからのキャリアプランを伺ってもいいですか?
自分自身がつくったプロダクトではなくて組織がどう成長していくのかに一番興味があるんですよ。今は、nanapiって「nanapiってサービスがある会社だよね」って組織より先にプロダクトがでてくるんです。そこから脱却できるような組織を作りたいですね。
技術者としてただサービスを作っているだけではなく、新しいサービスが生まれるような組織をつくれるCTOになっていきたいです。数十名じゃなくて、数百名の規模で、日本だけじゃなくて世界に支店があっても対応できるようなサービスをつくるような組織をつくれるCTOになりたいんです。
CTOとして大活躍をされている和田氏が、最初はエンジニアが嫌だった、というのは衝撃でした。インタビューを通して、和田氏は「面白い」「楽しい」という感性を大事にされているように感じました。
それにしても、たった1単位で人生の方向性が大きく変わってしまう、なんて面白いですね。あのとき、卒業していたら、今のnanapiがなかったかもしれないと思うと、運命を感じてしまいます。
今回は和田氏の経歴書をテーマに話して頂きましたが、8月26日(火)のヒカ☆ラボで、和田氏に「nanapiの開発現場とエンジニア組織」について語ってもらいます。もともとエンジニア志望ではなかった和田氏ならではの視点でみるエンジニアの現場と組織論をぜひ聞きにきてください!
【nanapiの和田修一氏登壇!】nanapiの開発現場とエンジニア組織
◆日時:2014年8月26日(火) 19:30~21:00
◆場所:渋谷ヒカリエ
◆予約方法
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※弊社運営サービス@Agent内予約フォームに遷移します。転職者用イベントではありません。どなたでもご参加いただけます。
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