今回「CTOの職務経歴書」でお話を伺ったのは、遺伝子解析サービスのパイオニア企業であるジェネシスヘルスケア株式会社のCTO、宮原武尊氏。
ジェネシスヘルスケア社は、マンガの神様として知られている手塚治虫氏の遺伝子情報を解析するプロジェクトを立ち上げたことでも知られている。そんなジェネシスヘルスケア社のIT環境を一手に引き受け、メンバーをまとめ上げている宮原氏。学生時代からの歩みや、現在の事業に対する思いなどを語ってもらった。
ジェネシスヘルスケア株式会社とは
2005年から遺伝子検査・解析を専門に行う検査会社。主に国内外の医療機関や教育機関、企業などから遺伝子の受託解析を行っている。また、個人に向けた遺伝子検査キット「GeneLife GENESIS」も販売しており、一人ひとりの遺伝子に適したライフスタイルの提案も行っている。
http://genesis-healthcare.jp/index.html
http://genelife.jp/
- 1. 学生時代にフルスタックな開発を経験したことが大きな強みに
- 2. ウォーターフォール型の開発からアジャイル型の開発へ
- 3. スクラムマスターとして大所帯のチームを率いる
- 4. 違ったレイヤーを意識するスタイルに共感
- 5. CTOなど必要ない組織を作るために
1. 学生時代にフルスタックな開発を経験したことが大きな強みに
――宮原さんは、学生時代にプログラミングのご経験はあったのでしょうか?
宮原氏:大学時代に、ある印刷会社向けのオンライン入稿システムを作ってくれと頼まれて、作った経験があります。その会社にはホームページを作るエンジニアがひとりいただけでしたので、僕が裏側のサーバーを買ってきてセットアップし、回線を引いてきてサーバールームを作るところからミドルウェアのセットアップ、システムのプログラミングまで全部やりました。
振り返ると、このときにインフラ作りからアプリケーション作りまでのすべてを手掛け、運用した経験はとても大きかったと思います。土台からすべてを手掛けることって、ほとんどチャンスがないですよね。特に大きな会社に入ってしまうと「キミはこのモジュールの担当ね」などと役割が分断されてしまいますが、全部を通じて見ることができたことは、いい経験でした。
2. ウォーターフォール型の開発からアジャイル型の開発へ
――その後、スマホアプリの会社に入社されるんですね。そこではどのような仕事をされていたのですか?
宮原氏:6年ちょっと在籍していまして、基本的にライフスタイルコンテンツと呼ばれるものを担当していました。そこでは企画と開発とに分かれていたのですが、僕は開発部門で、企画の人たちがやりたいアイデア――たとえば、台風情報にアニメーションを入れたいというアイデアがあったら、それを実装するなどといったことを行っていました。PMとして案件を管理しつつ、実際にコンテンツを作るメンバーのひとりとして、僕も手を動かしていました。
あとは、オフショア案件も担当しており、中国の開発部隊と連携してサービスを作る際のブリッジのような役割も担っていました。
最初の会社ではヘルスケア領域のアプリが人気だったが、まったく興味が無かったという
――そこでの経験で、よかったと感じるのはどのようなことでしょうか?
宮原氏:開発プロセスにおいて、ウォーターフォール・モデルとアジャイル・モデル、両方の手法が学べたことです。両方経験している人というのは、年齢層で言うと今だと30歳よりも上の人が多く、若い人は仕組みとしては知っていてもやったことはないという人が大半ですから。
僕が入社したときには、自分のプロジェクトの開発プロセスをPMの裁量で決めていた部分がありました。やがて会社が大きくなり人が増えてくると失敗するプロジェクトも増えてきました。そんな中で開発プロセスを標準化しようという流れになり、ウォーターフォールを導入したんです。要件定義書のフォーマットや、それを設計書に落とすやり方などががっちりと決められ、SI的な手法が取られるようになりました。
それをある日突然、CTOが「今日からアジャイルだ!」と言い出しまして(笑)。もちろん、その前から根回しがあり、実際に導入した場合のことを考えていたとは思いますが、僕たちからしたら、ある日一気に変わったんです。すると、プロダクトが形になるまでのスピードが格段に上がりました。これまで3ヶ月かかっていたものが4週間でできるようになったという感じですね。
――ウォーターフォールからアジャイルに変わる過程で、宮原さんご自身が戸惑うことはありませんでしたか?
宮原氏:それはなかったですね。僕は昔、割と一匹狼っぽいところがあって、「技術的に正しいんだから僕は間違っていない」というような、言いたいことをはっきり言ってしまうタイプだったんです。上司もそれを分かった上で放任してくれていたので、僕はそのなかで好き勝手やりながらバリューを出すのが得意でした。
でも、ウォーターフォールの世界ではそれはダメで、役割がきっかりと決まっています。一方のアジャイルは、メンバー一人ひとりのやる気を重視して伸ばすというスタイルであるため、それまで僕が上司にしてもらったことに近かったんです。ですので、僕がチームを見る立場になったとき、メンバーを見守りつつも任せるといったスタイルにはすんなりと対応できました。
3. スクラムマスターとして大所帯のチームを率いる
――その後、ソーシャルゲームの会社に移られたとのことですが、転職の経緯はどういったものでしょうか?
宮原氏:あるとき、「6年強同じ会社にいて、この先どうしていきたいんだろう?」という思いがふっと湧いてきたんです。「自分の本当にやりたいことは何なのか」と真剣に考えるようになったんです。
そこから何社か面接を受けていく中で、自分のやりたいことも最もマッチしたのが、そのソーシャルゲームの会社でした。
――そこでの仕事はどういったことをされていたのでしょうか?
宮原氏:海外向けのソーシャルゲームの日本版を作る仕事を1年間やらせてもらいました。僕はPM候補として入社したのですが、アジャイル開発の手法のなかでもスクラムでやってみることにしました。30人ほどの大きなチームだったのですが、エンジニアやデザイナー、ディレクター一人ひとりの腕が良かったこともあり、結構うまくいったんです。
実は、その前の会社のときのスクラム開発は、1チーム5~6人のチームを3つぐらい担当していたんです。それに比べて規模は大きかったのですが、スクラムで大事なことを真剣に勉強していたおかげで、人数が増えてもやるべきことが見えていました。
ソーシャルゲームの会社では、スクラムマスターをやりつつ開発漬けの日々。スキルの高いエンジニアたちからもたくさんの刺激を受けていた
――そこにはどのぐらい在籍されていらっしゃったんですか?
宮原氏:2年間ですね。海外向けのソーシャルゲームのあと、別の新規アプリ開発のほうに異動しました。こちらも40人ほどが関わる大きなプロジェクトを推進するという役割をやらせてもらいました。
4. 違ったレイヤーを意識するスタイルに共感
――ソーシャルゲームの会社からジェネシスヘルスケアへと移られたきっかけは?
宮原氏:実は僕の後輩がジェネシスヘルスケアにいて、「エンジニアがいなくて困っているので助けてくれませんか?」と声がかかり、これは僕が行くしかないと思ったのがきっかけです。
そこでの開発に不満は全くありませんでしたが、ソーシャルゲームがだんだんネイティブアプリ寄りになっていくにつれて、技術的に掴みきれていない領域が増えてきたという思いがありました。メンバーにもコンシューマーゲーム出身の人が大勢入ってきていたのですが、彼らの書いているプログラムって、僕らのものと全然違うんですよね。そんな中でスクラムを推進することについて少し違和感はありました。
――そこでは、どのようなことを得られたと考えていらっしゃいますか?
宮原氏:チームワークを大切にした考え方ですね。メンバーは、ベースの力がものすごく高いんです。そんな彼らに何でも言い合えるような場を作り出せると、チームワークが強固になり、力が発揮できるんだなということを、スクラムマスター視点で強く感じました。
スクラムマスターとして僕がまず心がけるべきことは、コードを書いたり読んだりすることも大事ですが、どれだけチーム内のコミュニケーションを促進させるかに尽きるんですよね。当時たくさん出ていたアジャイルの書籍に書かれていた手法を実践する場として、試行錯誤できたことが良かったと思います。
――宮原さんは、アジャイル開発推進イベント「Agile Japan 2014」の公認レポーターとしても活躍されていましたね。
宮原氏:はい。イベント自体は2013年から参加しており、2014年は公認レポーターとして活動しました。「Agile Japan 2014」では、日産・GT-Rの開発者である水野和敏さんの基調講演に感銘を受けました。売れるものを作るという目的はソーシャルゲームも車も近いけれど、水野さんは見ているレイヤーが違った。“ダンナさんが楽しむだけのスポーツカー”ではなく、“隣に乗る奥さんも楽しくて荷物も積める、それでいて速いスポーツカー”を作りたいという目的があったといいます。
では、水野さんの話をジェネシスヘルスケアの事業領域である遺伝子検査に重ねてみるとどうなるか? これまでの遺伝子検査は病気の可能性や体質の理解を主な目的としており、自己形成や性格の分野に特化したものはありませんでした。でも、僕らがそれを開発してみたら、様々な分野で使えることに気付いたんです。たとえば、手塚治虫さんに代表されるような、偉人が偉人たるゆえんの遺伝子とは何か、といったことが見えてくる可能性があるんですよね。
そういった意味で、ジェネシスヘルスケアの仕事を進めるうえで、これまでと違ったレイヤーを意識するという水野さんのGT-Rの話はとても心に響きました。
5. CTOなど必要ない組織を作るために
――過去に在籍していた2社とジェネシスヘルスケアを比較して、社内文化などで何か違いはありましたか?
宮原氏:ベースは遺伝子検査の会社で、そこに後からシステム部門を作ったという経緯があるので、これまでの2社とは文化が全然違いました。システム部の役割も、電気を使っているものは全部システム管轄という感じで、僕たちが電話やコピー機の面倒まで見ています(笑)。
――入社後のギャップが大きすぎた、ということはなかったですか?
宮原氏:もともとよく知っている人からの紹介で話は聞いていたので、予想はついていました。また、システム部を構築し、ギャップをなくしていくことこそが僕の仕事だと思っていたので、別に違和感を持ったり、困ったりすることもありませんでした。
――CTOになられたのはいつからですか?
宮原氏:入社したときからです。ただ正直なところ、CTOという言葉をこの規模の会社で使うべきなのだろうかと疑問に思っています。たとえば前職のソーシャルゲームの会社では、僕がいた時にはCTOはいなかったんです。でも、一人ひとりが「エンジニアとはこうあるべき」という哲学を持っていました。そういった哲学と会社の目指しているものがうまく調和していれば、CTOなどいらないのではないかと思うんです。
CTOとしては、自分自身の技術的なとがり方を追求するのではなく、とがっている人にいかにバリューを発揮してもらうかに重きを置いている
CTOは対外的には技術的な責任者という意味がありますが、当社のような非ITの企業にとっては、技術部門のリーダーのような存在であるべきだと思います。リーダーの役割は、エンジニアとしての哲学を伝えていって、会社として最大のバリューを持たせるということ。たとえば最初の会社のCTOは、会社のバリューを出すためにアジャイルを導入し、僕はその世界を知って勉強し続ける習慣を身につけることができたと感謝しています。
でも、もともと哲学を持っている人たちの集まりだったら、CTOなんていらないと思うんですよね。なのでゆくゆくはCTO不在の組織を作りたいと思っています。
――つまり、CTOではあるけれど、メンバー全員が育ってくれたら、CTOはいなくてもいい。CTOという肩書きを使わなくてもいいような状態になったほうが嬉しいということですか?
宮原氏:その通りです。僕なんかいなくてもいいんじゃないかという状態に持っていくことが大切なのではないかと思います。
――CTOになって宮原さんご自身が変わったことはありますか?
宮原氏:先ほども言ったように、エンジニア一人ひとりに自分なりの哲学を持ってほしいので、啓もう活動をするようになりました。具体的には、技術的な底上げを意識するようになったと感じています。
たとえば、エンジニアに学ぶ意識を持ってもらうために、2~3ヶ月に一度、エンジニアを一堂に集めて、自分の興味のある分野についてLTをしてもらうようにしています。そしてゆくゆくは、外の勉強会に行って発表するような立場になってもらいたいと考えています。
あとは、モダンな技術をどんどんポストしていくチャットルームを作ったり。僕も面白い記事を投げては、「ウチならどう使える?」と考えてもらう機会を作っています。「Agile Japan」への参加も同様に、僕自身が勉強を続けているという姿勢を示す意味もあります。
ジェネシスヘルスケア社が成長を止めてしまうと、医療の将来にも影響を及ぼす可能性がある。そこが重大な責任だと思う
――CTOにもっとも必要な要素とは何だと考えていらっしゃいますか?
宮原氏:バランス感覚ですね。技術的に傾倒しすぎてしまってはダメだと思います。世の中を理解して、「僕はこれが大事だと思うけれど、バランスを考えたらこっちだな」ということを選択することができる。最新技術ばかりを追っているだけではダメです。
――最後に、宮原さんにとって、ジェネシスヘルスケアの魅力とは何ですか?
宮原氏:ソーシャルゲームや機械学習のようなホットなサービスがスーパーカーだとすれば、僕らが手がけている遺伝子検査のサービスやプロダクトは、プリウスのようなものだと思うんです。
プリウスはスーパーカーに比べたら地味で、スピードも出ません。でも、今やプリウスは燃費の良さや環境に優しいことなどから人気が出て、たくさん走っていますよね。こんな社会を実現するために、トヨタは何十年も前からハイブリット車の研究を重ねてきたんです。
僕らが考えていることもこれに近くて、見た目は地味で分かりにくいかもしれないけれど、将来性や発展性があります。プリウスのように、この先10年で世の中の景色を変える可能性だってあるんです。そこが弊社の魅力だと思いますし、そのあたりを理解できるエンジニアの方には、どんどん仲間になって欲しいと思っています。
レバテック営業担当「加藤大貴」から一言!
宮原氏が見据える「遺伝子検査がプリウスのように一般的になる未来」
宮原さんのご経歴はとても興味深く、取材の1時間半があっという間に過ぎてしまいました。ジェネシスヘルスケア社の事業をプリウスに例えていらっしゃったのが印象的で、未来のスタンダードを作ろうと努力していらっしゃるというお話に感銘を受けました。また、「CTO不在の組織」という言葉からは、宮原さんの強い信念も感じることができました。