「CTOの職務経歴書」シリーズは、レバレジーズ(現レバテック)のアナリスト兼営業マンがインタビュー取材を通して注目企業のCTOに迫る企画です。
こんにちは。レバテック営業の林です。今回の「CTOの職務経歴書」は、アプリ開発者への支援サービスを提供している株式会社シロクの創業メンバーで、CTOの片岡直之さんにお話を伺いました。 片岡さんは、学生時代にシロクの創業メンバー4人で写真投稿アプリ「My365」を制作。それがリリース後5日で5万ダウンロード(通算400万DL)の大ヒットとなり、サイバーエージェント藤田社長の後押しを受けてシロクを起業されました。 ヒットアプリを手掛けた経緯や、シロク創業までの歩み、そして現在の事業に対する思いなどを語っていただきました。
株式会社シロク とは?
コンシューマ向け写真投稿アプリ「My365」をサイバーエージェントへ事業譲渡したことをきっかけに設立。現在は創業者自身がアプリディベロッパーであった経験を生かし、アプリ開発者ツールのリリースなど、グロースハックを様々な形で支援している。
http://sirok.co.jp/
- 1. 実はIT業界を避けていた高校・大学時代
- 2. 大学院時代に再確認したプログラミングの面白さ
- 3. スマッシュヒットを飛ばした「My365」
- 4. 「My365」が藤田社長の目に留まり、シロクを創業
- 5. 課題はCTOとしての最適なバランス感
- 6. リーダークラスのエンジニアを育てていくために
1. 実はIT業界を避けていた高校・大学時代
―まずは片岡さんのバックグラウンドである中学や高校時代のお話を伺いたいと思います。中学生の頃は何に熱中されていたのですか。
片岡氏:中学1年生のとき、我が家に初めてのパソコンがやってきたんです。マイクロソフトのExcelとWordしか入っていなかったのですが、Excelにif文を打つのが楽しくて。ifを入れると結果が変わるのが面白かったんですね。
その後、親にExcel関数辞典を買ってもらって、いろいろな関数を試してみました。でも、だんだん物足りなくなり、マクロの機能に乗り出していって、やがてプログラミングの深みにはまってしまいました。
―中学生当時は、プログラミングのどんなところに面白さを感じていたのですか。
片岡氏:ハイテクなパソコンを“操っている感”ですね。自分が命令すると、大人たちが作っているのと同じようなソフトが作れるということが、子どもながらに楽しかったです。
途中からVisual Basicという言語があることを知り、そのソフトを買ってもらって勉強しながら、いろいろなWindowsアプリケーションを作りました。
作ったアプリは、ソフトウェア流通サイトのVectorに掲載していました。毎月Vectorからダウンロード数のレポートが送られてくるのですが、数百件などという数字を見るのが嬉しかったですね。
あと、当時のパソコン雑誌には面白いアプリを集めたCD-ROMが付いていたのですが、そこに選ばれたこともあります。自分が作ったアプリが世に出ていく感覚を実感できるのが楽しかったです。
中学時代、最初に作ったアプリは、モグラたたきのようなゲームだったという
―高校時代は、どういった学生生活だったんですか。
片岡氏:中学時代と比べてプログラミングは控えめでしたが、相変わらずいろいろと作ったりしていました。当時はPHPを勉強して、仲間うちだけの高校の掲示板を作ってみんなに書き込みをしてもらっていました。
―プログラミングが高校時代に控えめだったというのは、どうしてなんですか。
片岡氏:中学生の後半ぐらいから、IT業界はブラックなんじゃないかと感じ始めて、あまり深みにはまらないでおこうと自制していたんです(笑)。ブラックというイメージは、父親からIT系の友人がノイローゼになったと聞かされたり、IT業界に勤める人のエッセイとかを読んで感じた印象ですね。堅実な道を歩もうと思いました。
―その後、東京大学に進学されて、電子回路を専攻されたと伺っていますが、なぜ電子回路を志したのですか。
片岡氏:大学2年次に学科の振り分けがあり、本当は情報工学科を志望していたのですが、成績が足りず、人気のない電子工学科に振り分けられたというのが経緯です。先ほどもお伝えした通り、IT業界はブラックなのでは?とうすうす感じていたので、内心ホッとしたところもありました(笑)。
―ITには就職したくないという気持ちがありつつ、情報工学を勉強したいという気持ちは強かったんですね。それがかなわず、電子回路を勉強してみていかがでしたか。
片岡氏:それはそれで、はまりまして。逆に大学時代はプログラミングをやらず、ずっと半田ごてを握って回路を作って遊んでいました。
電子回路を勉強していた大学時代、プログラムなら3行で済むコマンドも、回路にすると何百もの手間がかかることに驚いた
2. 大学院時代に再確認したプログラミングの面白さ
―シロクの創業メンバーである飯塚さん、向山さん、石山さんとはどういうきっかけで出会われたのですか。
片岡氏:実は、大学院に入るちょっと前に、基本情報処理などの資格を取ろうと思い、久しぶりにプログラミングの勉強を再開したら、面白くなってしまいました。
高校時代に作った掲示板ではSQLを使っていなかったのですが、これを使ったらもっといいものができると確信しました。それで、集積回路の研究室に進学したのに、逆にプログラミングばかりやり始めてしまったんです。
そして、修士1年の冬にプログラミングコンテストが開催されるという話があり、出てみないかと誘われました。ただ、自分の周囲にはプログラミングに興味があるような友達がいないので、チームが組めない。それを伝えたら、まるでお見合いのように飯塚と引き合わせてもらって。その飯塚がほかの2人を連れてきて、4人のチームが出来上がったんです。
―その4名でコンテストに出られたんですね。最初に開発したのはどのようなアプリなのですか。
片岡氏:「TwitCrew」という、Twitterのアカウントをそのまま利用するグループウェアのようなものを作りました。制作期間は1週間ちょっと。プログラミング部分は自分が1人で行い、デザイナーが作ったデザインと組み合わせていきました。
初めてチームで行った開発でしたので、どうつなぎ合わせるかというところは戸惑いましたが、それほど大きな課題にぶつかることもなく完成したことを覚えています。
―コンテストが終わり、4名の活動はどうなっていったのですか。
片岡氏:コンテストでは何の賞ももらえず、「審査員のヤツ、見る目ないな。俺たちけっこういいチームだよな?」みたいな気持ちが残っていたんです(笑)。それで、「ゴールデンウィークにもう1回何かを作って、今度は当ててやろうぜ!」というノリで開発したのが、「My365」です。
―「My365」を作るに至った経緯は?
片岡氏:箱根で開発合宿をして、ずっとブレストをしていたんです。そのときには、電話帳アプリというアイデアを詰めていったんですね。でも、最後の日の夜に、「1日1枚写真を撮るって良くない?」という感じで、新しいアイデアがポロっと出たんです。
「Twitterも140字制約で流行ったし、1日1枚制約が逆にいいね」とか、「1日1枚でカレンダーを埋めていったらいいかも」ということで、電話帳のアイデアは潔く捨てて、こちらを作ることになりました。
3. スマッシュヒットを飛ばした「My365」
―開発において苦労したのはどのような点ですか。
片岡氏:当時自分はiPhoneもMacも持ってなかったので、Macを買うところからのスタートでした(笑)。あと、メンバーは大学がバラバラだったので、密なコミュニケーションが取りづらかったんです。Facebookグループでコミュニケーションを取り、たまに会ってブラッシュアップするというのが面倒なことでもありました。
―それまで使っていたPHPに加え、iOSアプリを作るためにはXcodeを勉強しなければなりません。そのあたりは大丈夫でしたか。
片岡氏:大変ではありましたが、それまでもいくつか言語をやっていましたし、新しい言語自体にはすんなりと入れました。あと、Windowsアプリを作った経験もあったので、iOSとの違いを吸収していくことはそれほど大変ではありませんでした。中学校、高校時代に趣味でやっていたことが、ここにきて生きたという感じですね。
―コミュニケーションの問題は、どのように解決したのですか。
片岡氏:結局、解決はしなかったです。密なコミュニケーションができない分は、回数を重ねて頑張ったという感じですね。
そんなわけで、リリースまでにものすごく時間がかかりました。iOSアプリを作ったのは初めてだし、サーバーとクライアントの両方を作らなければならない。それに、メンバー全員が研究やアルバイトをしているなかで副業的にやっていたことなどが重なり、結果的に半年もかかってしまいました。
多忙な学生生活と並行しての開発は、一足飛びにはいかなかった
―「My365」がリリースされたときの心境は?
ここから行ってやるぞ!という感じでしたね。とはいえ、僕は友達が少なかったので、宣伝は他のメンバーに頼りきりでしたが(笑)。飯塚と向山がそのあたりを練ってくれていたので、ものすごい初速があり、反響は最初から大きかったです。
4. 「My365」が藤田社長の目に留まり、シロクを創業
―その後、サイバーエージェントの藤田社長から、子会社としてシロク設立を打診されます。藤田社長との出会いは?
片岡氏:「My365」をリリースして2週間後ぐらいに、飯塚がアルバイトをしていた同じフロアに藤田社長がいて、飯塚のところにフラッと来たらしいんです。そして、「いいアプリだから会社化してみない?」という打診をされて。自分たちはそれを後から聞いて、「じゃあ、やろうよ」という感じで決めました。
―会社設立にあたっての迷いは無かったんですか。
片岡氏:あまりなかったですね。「My365」は最初からアクセスが集中して、サーバーを立て直したために、サーバー費が月に10万円ほどかかるようになってしまったんです。当時は学生だったので、このままいくとまずいなと思っていたところでした。どこかで会社化などを考えたほうがいいのではないかと感じていたので、打診に乗っかることにしました。
実は当時、4人の総意としては、うまく初速が付いたので、ここから大きくしていきたいとは考えていました。でも、ビジネスとしてどういう形にすべきかなどの具体的なことは決まっていませんでしたので、これは大きなチャンスだと思いました。
―社会人経験のないなか、学生からいきなり創業というのは不安ではありませんでしたか。
片岡氏:サイバーエージェントの子会社という形での立ち上げでしたので、頼りになる後ろ盾があります。ですから不安感は薄く、むしろ前向きに「やってやろう!」という感じでした。
学生での起業に戸惑いはなく、むしろ「サービスを大きくするチャンス」と捉えた
5. 課題はCTOとしての最適なバランス感
―現在のビジネスの概要を、改めてお聞かせください。
片岡氏:「My365」でシロクを設立しましたが、なかなか収益化できずに苦労したり、他のアプリをリリースしては3か月ぐらいで撤退させたりということが続きました。
そこで、その知見を活かし、アプリ開発者を支援する事業を法人向けに開始しました。それ以来、シロクの事業の方向性がBtoCから移っていき、現在はBtoBサービスを主力に展開しています。
―展開するサービスが変わり、会社自体が大きくなっていくにつれて、片岡さんご自身の仕事はどのように変化してきましたか。
片岡氏:最初はまさにプレーヤーで、経営者ではなかったですね。BtoCのころは、職人のようにプログラミングすることが自分の役割でした。やがて、BtoBに事業を展開していって会社が大きくなり、人も増えていく過程で、自分が手を動かすことから、みんなに良い仕事をしてもらうという方向に役割が変わっていきました。
―今、コードを書かれることはありますか。
片岡氏:あります。いまだに会社のなかで、一番コミットの機会が多いと思います。メンバーに対するレビューのような形で手直しをするパターンもありますし、技術的に難易度が高い場合は、自分が入って手を動かすこともあります。
―エンジニアさんは10名ほどいらっしゃるとのことでしたが、彼らをまとめるという意味で苦労されているところとは?
片岡氏:ずっと苦労していますね。自分が手を動かしてしまえばすぐにできてしまうことを、いかにメンバーにやってもらうかというところが課題です。今は、「任せてしまえば、やれなくはない」ということを学びました。無茶振りかと思ったことも、意外とみんなやってくれる。メンバーを信頼することが大切なのかもしれません。
―CTOの立場だからこその苦労はありますか。
片岡氏:今は、自分が社内でもトップの技術力だと自負してますし、自分がみんなを引き上げていかないと全体のレベルが上がらないと考えています。
ただ、自分が技術を突き詰める方向にばかり行ってしまうと、今度はメンバーに任せることができなくなる。一方で、マネジメントばかりに注力すると、自分の技術力が停滞してみんなを引っ張り上げられなくなる。そのあたりのバランスは難しいと思いますね。
自身の技術力の向上と、マネジメントのバランスをとることは容易ではないという
―最新技術のキャッチアップは、どのようにされていますか。
片岡氏:本で独学です。最近は、Facebookチームが作ったJavaScriptのビューライブラリ「React.js」を勉強しました。Webアプリはどんどんリッチになっていますが、その分ブラウザ側の処理の複雑度が高くなり、ちゃんと動くものを作るのが難しくなっています。「React.js」は複雑なものを簡単に実装できる概念で、すでにリリース済みのサービスにも使っています。
6. リーダークラスのエンジニアを育てていくために
―片岡さんは、どのようなエンジニアと働きたいと思っていらっしゃいますか。
片岡氏:自分自身がスピード感を持って、どんどん新しいものを立ち上げていくことが好きなので、そういう志向のメンバーと一緒に働きたいです。パーソナリティとしては、何でもやろうとする、チャレンジングな人。バックエンドエンジニアとかフロントエンドエンジニアとか、そういう担当領域の枠を超えてくる人がいいですね。
―では、今後片岡さんご自身は、どのように成長していきたいと考えていますか。
片岡氏:現在10名程度のエンジニアチームですが、今後30名、40名と拡大していくと思います。その際、全体が見渡せる能力や、全体の技術力を担保できるような能力が必要だと考えています。
さらにエンジニアが増えていけば、僕ひとりでは絶対にマネジメントしきれません。間に立ってマネジメントできるリーダーを育てる能力も大切になってきます。実は今も僕の下にリーダーがいて、彼には完全に仕事を任せることができます。そういう人間をもっと増やしていかなければと思っています。
―増やすために必要なこととは?
片岡氏:まずは経験だと思いますね。新しいプロダクトを立ち上げるチャンスにチャレンジさせるとか、トライさせて失敗から学ばせるなどを心がけています。新しいものを立ち上げるときが、一番伸びるチャンスだと思うので、そういうチャンスを与えて、技術力やマネジメント力を身につけてもらうという感じです。
もちろん、優秀なメンバーがたくさん集うという状況も大切だと思うので、外部からの採用も必要ですし、内部での育成も必要だと考えています。自分自身が天井となってメンバーを引っ張り上げていくという状態から、誰かが天井を突き破って引き上げていってくれるという状況を作り上げることができるといいですね。
レバテック営業の林から一言!
>笑顔の似合う、物腰の柔らかな片岡さん。経営層としての役割とトップエンジニアとしての役割のバランス感に悩む部分も多いとおっしゃっていましたが、「誰かに自分という天井を突き破ってほしい」という力強い言葉に、創業者としての覚悟を見たような気がしました。